山上多重塔を国宝に。-本日は建立記念の日-

本日、7月17日は西暦801年(平安時代初期)に山上多重塔が建立された日。この日に合わせて、新里文化財保護協会の主催による山上多重塔建立記念式典が開催されており、今年も来賓や関係者の出席のもと開催されました。
山上多重塔は桐生市新里町山上の西端に位置する古碑の一つであり、僧・道輪によって建てられた供養塔です。国の重要文化財にも指定されています。この山上多重塔の価値は改めて申し上げるまでもありませんが、昭和18年に文化財保護法の前身である国宝保存法の下で旧国宝に指定されたという経緯からもわかるとおり、古くから広くその歴史的価値が認められてきた存在です。
6月議会の一般質問において、山上多重塔の価値について、そして国宝への指定に向けた顕彰活動の盛り上げについて質問をさせていただいたところ、荒木市長からは「市としても支援をしていきたい」との力強いご答弁をいただき、本日の式典にも忙しいスケジュールの合間を縫ってご出席いただきました。式典の中でも改めての市長より支援についての言及があり、地元出席者の皆様の中でも国宝指定に向けた顕彰活動への意を強くしたところです。
現在、まさに私たちは新型コロナウイルス感染症によるパンデミックに見舞われている訳でありますが、歴史上、感染症の拡大は決して珍しい出来事ではありません。人類はこれまであらゆる感染症の大流行を乗り越えてきた歴史があり、山上多重塔はそれを証明する一つの文化遺産でもあります。
「絶えることのない地獄の苦しみから、すべてのものを救い、永く安らぎの地へ往くことができるように、ここに如法経を安置する塔を建てた。」これは碑文の一部を現代語訳したものですが、この道輪により刻まれた想いは、現在のコロナ禍における人々の平安を願う想いに通ずるものがあるのではないでしょうか。
山上多重塔は国内で18例しかない古碑の一つ。県内には4基の古碑が存在していますが、山上多重塔を除く高崎市内の3基(多胡碑、山上碑、金井沢碑)が平成29年に「上野三碑」としてユネスコの世界の記憶に登録されたことからも、古碑がいかに貴重な文化遺産であるかがわかります。そして、現在のコロナ禍にも通ずる山上多重塔の碑文に刻まれた想いに再び光を当てるべく、地域住民の中から顕彰活動の機運が高まってきたことは、千載一遇のチャンスではないでしょうか。
16年前に旧桐生市と新里村・黒保根村が合併して新しい桐生市となりました。桐生市民の皆様の中でも、山上多重塔を訪れたことのない方が多いと思います。山上多重塔は美しい造形やその刻まれたメッセージはもちろんのこと、ここから見る赤城山の眺めは唯一無二のもの。訪れたことがない方には、ぜひこの場所に立って1200年前のロマンを感じてもらいたいと思います。
最後に、荒木市長をはじめ山上多重塔建立記念式典にご出席いただいた皆様、文化財保護活動を支えていただいている全ての関係者の皆様に心より感謝申し上げます。